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無縁社会を乗り越えろ

 最近テレビなどで盛んに「無縁社会」という言葉が叫ばれるようになった。働きたいのに働くことができない、30代・40代の無縁社会である。彼らの主張は「自分は社会から必要とされていない」「自分は誰にも支えられていない」という趣旨のものであるが、彼らの多くに共通するのが、正常な社会生活を送れていないという事実である。

 ある30代の者は生活保護を受けながら、アパートの部屋で自分の生きる意味を自問自答していた。彼の心にあるのは、自分は定職に就けない。自分は社会からはたして必要とされているのか、などである。

 つまり、現在働き盛りの世代の無縁社会とは、本人の経済状況から無縁となる場合が大多数を占めている。本人が望んでも満足な定職に就けないという問題がその原因となっていた。

 これらを扱う番組では、なぜ彼がこのような無縁な状態になったかなどの説明はあった。しかし現状の生活を受け入れるまでに、彼がどのような努力をしたのかについては触れらていない。

 つまりは、どんな職でもよいから自分から積極的に、様々な職種で働いてみたかということである。テレビに登場した彼らの多くに共通するのは、驚くほどに勤労意識が低いことである。生きるためには何でもやるといハングリー精神が、彼らにはまず見られないことだ。これでは、たとえ彼らに正社員の雇用を世話したとしても、彼らがそれに対応できる力が、まずは欠如しているのではないかと思えてしまう。

 要は社会とは弱肉強食の過酷な生存競争なのである。社会という巨大な戦場の中で、これらの人々は、自分が弱肉強食社会の勝者となるための努力と忍耐を、はたしてどれぐらいしてきたのだろうか。

 これらテレビの「無縁社会特集」に登場する人々の多くは、定職に就けない。社会から自分は見放されたという被害者意識だけが強く、被害妄想的な孤独な殻に閉じ篭っている感じがしてならない。

 運・不運はあるだろうが、彼らの現状は、彼らがこれまで生きてきた結果なのである。自分が社会に流されるままに生きてきた現在の姿なのである。

 彼らの努力次第では、現在の姿をいくらでも回避できたはずだと筆者は思うのである。もっと自分から社会へ関わる努力をすれば、道は開けるのではないだろうか。

(白井正雪)

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