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遠い記憶 羽田競馬場の歴史(3)

 さて、前回は旧羽田競馬場から新羽田競馬場への移り行きを記した。
 現在の羽田空港の南東部、A滑走路の先端あたりにリニューアルオープンした新競馬場の経営は東京府畜産奨励会があたった。
 当時、日本一の競馬場といわれた羽田競馬は、春秋2回の競馬が開催され、全国から卓越した馬が集まった。その盛況ぶりは周辺の目黒競馬場や、根岸競馬場を凌ぐほどだったという。

 新競馬場での最初の開催は1932(昭和7)年7月3日から5日にかけて行われ、55万4229円の売上を記録している。さらに、34年(昭和9年)7月の開催で売上は初めて100万円の大台を突破、その後も地方競馬では全国一の盛況が続いた。
 しかし、当時の日本(大日本帝国)は31(昭和6)年の満州事変を機に、33(昭和8)年、国際連盟を脱退。軍事政権の下、第2次世界大戦への道を歩んでいく。そして、日中戦争の勃発に伴い立法された軍馬資源保護法の施行によって、羽田競馬は37(昭和12)年限りで廃止、翌38(昭和13)年に廃場へと追い込まれた。
 跡地は日本特殊鋼株式会社の用地となり、その一部には高射砲陣地が設けられた。
 こうして幕を閉じた羽田競馬だが、わずか10年余りの歴史とはいえ、日本で最初の少年騎手学校がつくられるなど、日本競馬の発展の過程で果たした役割は大きい。
 ※参考文献=大井競馬の歩み/大田区の近代文化財/写真でみる郷土のうつりかわり/地方競馬史第一巻(1972年 地方競馬全国協会)、

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