“呼声というのがなかなかコツのいるもので、わざとらしくなく、しかも客の好奇心にぴったり合うように呼ばなければならない。むやみに呼び続けていても効果は少ない”。呼び声を始め、徳次は夜店で客の心理や品の並べ方、タイミング、駆け引き等、いろいろ学んだ。こうしたことは後年、事業を始めてからも、とても役に立った。
当時、鉛筆の市場相場は大体1本1銭だった。それが3本で1銭なのだから、安さの魅力で徳次の店にも少しずつ客が寄るようになった。一人買う人がいると、それにつられるように他のお客さんも買ってくれた。
「ちゃんと書けるのかい?」と疑う客には、鉛筆を目の前で削ってみせて、クズ鉛筆でも十分使用に耐える品であることを証明した。これも現場で自然に体得した宣伝法で、こうすると鉛筆はよく売れ始めた。
売れ始めると段々調子に乗って殺し文句も出るようになるし、客に勧めるコツも自然とわかってきた。最初の日、徳次は24銭を売り上げた。帰りは夜中の12時をとっくに過ぎていたが、芳松夫妻も兄弟子2人も、起きて徳次の帰りを待っていた。
水天宮での縁日を皮切りに、日本橋、浅草、本所、深川と隅田川を中心に右岸・左岸で開かれる縁日に出掛けては夜店を出し、鉛筆を売った。
一晩の駄賃として売り上げの中から2銭ずつ貰った。売れる日ばかりとは限らず、売り上げが少なくて元気なく戻る日もだいぶあった。よく売れた晩は、徳次が話す一部始終を皆で喜んだり笑ったりして楽しく過ごした。芳松が喜んでくれることが何より嬉しかった。