search
とじる
トップ > 社会 > 経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(54)

経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(54)

 潮が満ちて来たらしく、徳次の乗った伝馬船は橋の下から、岩出屋の油倉庫が並ぶ岸のほうに近づいて行った。油倉庫は炎に包まれ、焼け落ちる寸前のようだった。

 伝馬船は今や倉庫と至近距離になっている。このままでは油倉庫は爆発する、そう思って冬用外套、モーニング、帽子を脱ぎ捨ててワイシャツだけになり、水中に跳び込んだ。3、4メートルやっと泳げる程度だったが必死にもがいて、橋下の台座に辿り着いた。その直後、大音響とともに油倉庫が焼け落ちた。
 火の海が渦を巻いている。その中からいくつも火柱が立った。熱で真空になっているところへ空気が動いたために起きた突風が人、トタン板、家と、あらゆる物を吹き飛ばした。いったん上に上がってから方向を変え、横に向かって飛んで行くのだった。

 先程(さきほど)まで乗っていた伝馬船は影も形もない。徳次は履いていた靴下の片方を脱いで鼻孔と口を塞(ふさ)ぎ、吹き付ける熱い煙を防いだ。台石にしがみつき、水面にちょっと顔を出して水中に頭を入れたままでいた。水面すれすれのところは煙の影響が比較的少なく、何とか呼吸ができた。タライが流れて来たので頭から被ったが、しばらくするとそのタライが燃えだしたので捨てた。
 日が暮れかけてきた。一時は水面に人の首ばかり見えたが、今は数えるほどしか残っていない。死体がいくつも漂い徳次の体に触れるのだった。
 顔や手足を火傷していることに気が付いた。気が付いた時にはヒリヒリしたが、だんだん痛みが激しくなっていった。
 日はとっぷりと暮れていた。日が暮れるにつれて、両岸の火の勢いもようやく弱まってきていた。吹き荒れていた熱風も少し衰え、川の水も湯のようだったのが徐々に冷めてくるのが感じられた。
 しかし、上げ潮で水嵩(みずかさ)が増し、水中で立っていられなくなったうえに腹が痛み出した。そこで自分を“落ちつけ、元気を出せ”と励ますように、昨日練習した謡曲の船弁慶を謡(うた)ってみた。声は震えていたが、出来はよかった。

関連記事


社会→

 

特集

関連ニュース

ピックアップ

新着ニュース→

もっと見る→

社会→

もっと見る→

注目タグ