当時の堀江が所属していた事務所は野田義治氏のイエローキャブである。1990年代には巨乳グラドルの事務所として有名になったが、その先駆けとなったのが堀江である。この頃の雑誌のグラビアでは、大きな胸を武器にたくさん掲載されていたが、仕事の中心は雑誌が主なので、動いている堀江を見れる機会があまりなかったのが現実だ。
そんな気持ちの人が多かったことから85年1月からスタートしたドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)への出演が決まった。主演の中山美穂のパンチラやセクシーなシーンが話題になり、当時の中高生男子の間では大人気のドラマだった。そのドラマに堀江が出演することになったのだが、堀江の役どころは、メインキャストの友達のお姉さんだった。なぜか毎週のようにお風呂上がりにバスタオルを体に巻いているだけの姿で出演するのだが、時には巻いているタオルがズレ落ちたりして、こぼれそうな胸が見えそうなシーンも続出で、このシーンを見るための視聴者も多かったことだろう。私もこのシーンを見て堀江が気になる存在になった口なのだが、実際に会いに行くとなると、これまでのアイドル歌手などのように公開番組や新曲発表イベントなどが無いので、堀江に会うことは難しいと思っていた。
そんなことを考えている矢先に、ある日TBSの玄関前で誰だったか覚えていないが、アイドルの出待ちをしていたところ、玄関から派手なピンクの服を着ている堀江が出てきたのだ。胸元を見てすぐに堀江だと確信した私は、真っ先に近寄って話しかけてみることにした。もちろん隣にマネージャーはいたのだが、気軽に写真も撮らせてくれて、サインまで書いてくれた。優しいお姉さんという印象だった。
この頃からバラエティ番組を中心にドラマなどにも多く出演するようになり、いわゆるバラドル的な存在で人気も上昇した。しかし、活動がアイドル歌手では無かったこともあり、この先に会うことは難しい存在だと思っていた。しかしある日に奇跡が起きた。
私が川崎駅の地下街のアゼリアというところを歩いていたら、何とそこに堀江がいたのです。たしか87年12月頃で、すごい寒い日だった。当時の堀江はドラマ『男女7人秋物語』(TBS系)にレギュラー出演していて、ドラマの舞台が川崎だったこともあり、その撮影で来ていたのだ。この時は撮影中だったこともあり、話しかけることも出来ないで、しばらく撮影を見学していた程度だが、自分の中ですごい嬉しさが込み上げてきた。
しかし、この日を最後に私は堀江と二度と会うことは無くなってしまった。この撮影の翌年早々に体調不良となり入院してしまったのだ。スキルス性の胃がんと診断され、1988年9月13日に23歳の若さでこの世を去ってしまった。
約4年の芸能活動しかしていないが、その4年の密度は誰よりも濃く、グラビアアイドルの時代でもないのに、水着写真集を9冊も発売し、今では当たり前のように存在するグラビアアイドルの道を切り開いてくれた。後に事務所の後輩になる、かとうれいこや細川ふみえがトップグラドルになったのだが、これも堀江がいたからこそである。亡くなってから27年の月日が経っているが、堀江の存在は今でもグラビア界では大きな影響があるのではないかと思う。
現在はグラビアアイドルとして活動している女の子は無数のようにいるが、グラビアアイドルの先駆者でありレジェンドである堀江のことを少しでも知ってもらいたいと思う。その原点を見つめることにより、グラビアアイドルの存在の地位向上に繋がるのではないかと思う。
(ブレーメン大島=毎週土曜日に掲載)
【ブレーメン大島】小学生の頃からアイドル現場に通い、高校時代は『夕やけニャンニャン』に素人ながらレギュラーで出演。同番組の「夕ニャン大相撲」では元レスリング部のテクニックを駆使して、暴れまわった。高校卒業後は芸人、プロレスのリングアナウンサー、放送作家として活動。現在は「プロのアイドルヲタク」としてアイドルをメインに取材するほか、かつて広島カープの応援団にも所属していたほどの熱狂的ファンとしての顔や、自称日本で唯一の盆踊りヲタとしての顔を持つことから、全国を飛び回る生活を送っている。最近、気になるアイドルはNMB48の三田麻央。