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高橋四丁目の居酒屋万歩計(1)「さかばやし」(立ち飲み)

 さして落胆しているふうでもなく「90万円磨(す)った」と、ケイタイで話しながら歩いている男とすれ違った。東京証券取引所のある茅場町からも遠くないこのあたりでは日常茶飯のことなのか、言外に、まだ自分に才覚があったから損失を90万円で済ませた、とほのめかしている。

 行き交う男たちのほとんどがスーツ姿。仕立ては、必ずしも良くない。襟首に皺(しわ)が2、3本、大きく湾曲している。男のスーツ姿というものは、じつは都会でもっとも有効な身を隠す術(すべ)なのだが、そういう意味合いでもどうやらなさそうだ。
 映画という、光と陰でできた虚の世界に長く浸っていると、実業の世界の人々こそが物語の中にしか存在しないのではないかという錯覚に陥りそうになる。やがて、その錯覚を否定できなくなる。否定しなくなる。肯定するようになる。
 「さかばやし」の酒林(杉の葉を束ねて球状にした酒屋の看板)をくぐって中に入る。
 左手に、真っすぐ前を向いたお姉さんがいらした。男というものは、しょうもなく遊びにくるもの。遊ばなければ人生を実感できない、そういう生き物なのだから、見逃すしかない。まあ、こちらも商売だから遊ばせないことはないのだけれど、こいつらは枷(かせ)をしておかないと、羽目を外す。ここは白い歯を見せずに、ひと睨(にら)みしておいたほうがいい。

 男は図に乗るとどこまでも甘えてくる。それはもう自分の亭主だけで、たくさん。だいたい、あの亭主も…というふうにお考えになっているかどうかは知りません。知りませんが、ややきつく、やや冷たいお姉さまがきりりと紅を引いてお待ちになっているので、酒とつまみを申告して、お支払いして、停まる卓を選択しましょう。
 これが、キャッシュ・オン・デリバリーのシステム。お釣りは小さな竹籠(かご)に入れておきましょう。どうせまもなく出て行きます。
 チンしてもらったニラ玉も、ぷっくりしたソラマメもとても良いアテながら、まぐろのブツがうわさに違わぬ絶品でした。ブツという言い方が違います。大とろと中とろの、お雛さまサイズというべきでありましょう。
 一切れつまんで、お燗(かん)に切り替えました。このとろける甘さと油分は、冷やでは洗い流せないものです。
 大ぶりのテレビでは今年、生誕100年の松本清張物を再放送中。画面で米倉涼子(女優)が土下座しております。立ち飲みの酒場では、必ず誰かはぼーっと眺めているものですが、ここではみんな話に夢中か、思案の最中なのでした。

予算2000円
東京都中央区日本橋小伝馬町9-1

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