対峙したのは、今御門町の道祖神と薬師堂町の御霊様。軍配は御霊神社に上がり、よってたくさんの氏子を得て今に至るという。負けた道祖神は、わずか今御門だけを氏子とすることになった。この時、道祖神はふてくされ、蚊帳を着て寝てしまったと伝わる。
祭神は天孫を地上に先導した猿田彦命。導きの神であることから辻を守る道祖神とよく習合し、塞の神とされることもまた多い。「塞の神」は「賽の神」とも表現された。サイコロの“賽”だ。
秋の例祭では伝承に因んで賽を祀り、さらに「蚊帳のやぶれ」という儀式が行われる。これは神前で破れ蚊帳を広げ、氏子に公開するもの。博打に負けて、破れた蚊帳まで質入れしたところをかたどっているのだとか。博奕は神様の身をも窮地に陥れたのだ。
ところが、八方ふさがりに見える道祖神社は、今や「博打の神」として人気なのだから不思議だ。境内には“賽”の神とされる磐座があり、篤い信仰を誇っている。「自分が味わった悔しい思いを人々にはさせたくない」とばかりに賭け事の守護を買って出た道祖神は、なんと心の広い神なのだろう。
この方程式は、日本の多くの神に当てはまる。首を切り落とされた大蛇は頭の守り神に、お産で死した女神は安産の神にというように、それぞれ被った悲劇とは正反対のご利益がうたわれるのだ。
「祭り上げて、大いなる味方とする」。マイナス要素さえも発想の転換でプラスに転じてきたご先祖たち。思うに、日本人ほどたくましい民俗はいないのではないだろうか。
(写真「四つ辻の北東角に鎮座する道祖神社」)
神社ライター 宮家美樹