「さかなや晴レ、って?」
若い娘(こ)でなければ、こうは単刀直入には聞けない。それはわたしだって聞きたいところではあるが、無関心をよそおって銚子をかたむけ、若きご亭主の自発的な申告に耳をかたむける。
「魚屋で修業したものですから」
だれをも納得させる答えが返ってきた。それみろ、やっぱりそういうことではないかと、ひきょうにもひとりごつ。
8人掛けの大きい卓がひとつと、カウンターが8席の店内だ。今日は4人連れで、しかも土曜日、予約をしておいて正解だった。6時の試合開始から30分後には、カウンターに一組2席を残すのみ。ひきもきらない新規の客が、目ざとく空席のあるのをアピールするも、予約済みでございますと丁重なお断りをくらっていた。
魚屋と板前とは、包丁使いが違うという説がある。魚屋は、切り身を大きくみせるために「く」の字に切り落とす。板前は、その必要がないので出刃も柳刃も、まっすぐに引く。ご亭主は臨機応変の両刀遣いなのだな、と思っているうちに刺し身の盛り合わせができた。鮮やかである。4、5品そういって、和歌山県産であろう「紀土(キッド)」という、しゃれはピンとこないが、しっかりした酸味で飲ませる酒をたがいに注ぎあう。燗は、手あぶりに乗せた南部鉄瓶でつけたもの。雅である。
つまみは、薄味の温豆腐からはじまり、濃い味の豚肉の味噌漬焼きや、烏賊腸(いかわた)の塩辛の刺し身でしめるよう順番に供されるのだった。次々に板場でこしらえられる料理に目を奪われる。常連客がつんのめるような勢いで注文したアラにすかさず便乗しようとすると、一皿分しかないという。残念である。
ことほどさように、仲のいい友人同士で、直箸で料理をつまみながら過ごす一夕にまさるものはない。そういうときに供されるべきつまみが、まさしくこのように供されるなら、心はこころからくつろぐことだろう。それこそ無数にある中央線沿線の居酒屋で、この店の利用方法はそれであろうと思われる。利用方法をよく心得た大卓の8人客が、いかにも楽しそうに談論風発されている。
めでたい時、めでたさのおすそ分けをしたい時、松竹梅の位のなかで竹梅ランクのお礼をしたい時、理由はともあれ支払いをしたい時、総じて「晴レ」晴れしい気分のとき、ここにくれば、その思いはまちがいなく届くだろう。
予算4000円。
東京都杉並区西荻北3-4-8