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新重賞今昔物語 1999年共同通信杯 低評価を覆し、逃亡劇を決めたヤマニンアクロ

 アイネスフウジン、ナリタブライアン、メジロブライト、エルコンドルパサー、ジャングルポケット、アドマイヤムーン…。ざっと過去の勝ち馬を並べただけでも、その顔ぶれの豪華さ、GIホースの多さに目を見張ってしまうのが共同通信杯だ。

 東京の芝1800メートルという言い訳できない力の差がはっきり出るコース。4カ月後に行われる競馬の祭典・ダービーを見据え、素質馬が試走を兼ねて出走するケースがよく見られる。
 そのため、堅く収まるケースが比較的多いのだが、1999年はかなり様相が違った。1番人気のグラスグラードが7着、2番人気のドラゴンブライアンが12着、3番人気のエイシンウインダムが6着と総崩れするなか、勝ったのは10番人気のヤマニンアクロだった。
 1、2番人気が後方でけん制しあう展開。アクロはすいすいとハナを奪った。1000メートル通過が62秒0のスローペース。人気薄の逃げ馬がマークも受けず、まんまと逃げ切ってしまう典型的なパターンで、1馬身1/2差の完勝だった。

 2着には13番人気のキンショーテガラが入り、馬連は11万4650円、3着にも5番人気のソウシュンが入線と、もし3連単が実施されていれば、かなりの高配当だったのは間違いない。
 父のヤマニンスキーはヤエノムテキ、ライトカラーといったGI馬を輩出しているが、ヤマニンアクロは遺伝力の衰え出した晩年の産駒。母は子分けの1勝馬と実に地味な血統で、10番人気の低評価もうなずける背景があった。
 しかし、この番狂わせを語るうえで、無視できないのはアクロをじっくり育て上げた陣営の腕だろう。所属していたのは美浦の萩原厩舎。いまやクラシックの最有力候補ロジユニヴァースを擁し、飛ぶ鳥を落とす勢いだが、実はこの共同通信杯が重賞初勝利だった。
 アクロは皐月賞、ダービーともに10着に終わった。あれから10年の歳月が流れた。時間をかけて培った萩原厩舎の夢がいよいよかなうかもしれない。

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