<完全立体空間 3D DISPLAY GAME SYSTEM>
およそ任天堂らしからぬ、真っ赤に塗装された近未来型のハードなその姿を初めて目にした筆者は、あまりのかっこよさにひと目ぼれ。当日は投売りされていた「3DO」目当てにゲーム屋へ足を運んだのだが、気がつけば「バーチャルボーイください!」と興奮気味に叫んでいる自分がいた。だが店員は「いやあ、僕もプレイしてみたんだけどね。正直やめといたほうがいいよ」などと、商売っ気ゼロの親切丁寧なアドバイス。
実はハードを買う際に忠告を受けたのはこれが初めてではない。アタリの巨大携帯型ゲーム機「Lynx」を買いに行ったときにも、彼から同じように説得されたのである(買ったけど)。その一番の理由が、「ハードを買ってもソフトがない」というもの。今にして思えば、彼の言っていることは概ね正しかったのである。結局私は忠告を無視しバーチャルボーイを定価の15000円で購入したのだが、帰りしな店員から、「ウチでは買い取れないからね」と念を押された。
ちなみにバーチャルボーイと同時に購入したのはT&Eソフトの『レッドアラーム』というシューティングゲームで、すべてワイヤーフレームで描かれている。自分が考えていた以上にゲーム画面が飛び出して見え、初プレイ時はその迫力ある立体映像に素直に感動したものだ。それに音もいい。前年に発売された次世代機やSFCに比べると音源自体はかなり貧弱なのだが、ファミコンやゲームボーイをそのままパワーアップさせたような耳ざわりのいいゲーム然としたサウンドに、「やっぱゲームはピコピコ音でしょ」と妙に納得。グリップ型コントローラーも抜群の握り心地だ。
<せっかくの立体映像なのに画面が真っ赤>
しかしながら、ゲーム画面を覗き込むというスタイルはやはり異様だった。周りがまったく見えないのである。そのためゲーム中はひたすら孤独。ゲームをプレイしているだけなのに、何かいかがわしいことをやっているかのような錯覚に陥るほどである。「女湯覗きシミュレーション」のようなゲームが出ていれば、爆発的にヒットしたかもしれない。
だが、赤と黒のみの“いびつ”な世界ではそれも無理がある。生みの親である故・横井軍平は発売直前のインタビューでこう述べている。「色についてあれこれ言われることは覚悟の上で赤色LEDを採用した」。
モノクロのゲームボーイが大ヒットしたことである程度の感触を得ていたのだろうか。「ゲームを始めれば色などさほど問題ではない。結局はゲームの質」との持論だが、本心では「真っ赤なゲーム画面は誰がどう見ても明らかにマズい」と考えていたのではないか。無論、コスト面の問題もあったのだろう。一説によると、極秘裏に行われていた開発の情報が外部に漏れ、発売を急ぐよう上層部から圧力をかけられたとも言われているが、横井氏はすでに他界しており、真相は闇の中だ。
また、同氏は「目の筋肉が鍛えられて、逆に目が良くなるという研究結果も出た」とも語っているのだが、これも本当かどうかは疑わしい。個人差はあるだろうが、バーチャルボーイは30分プレイしただけで目がしょぼしょぼしてくる。今話題の3Dテレビですら「寝転んで見るな」「距離を考えろ」「子供は見るな」等の注意事項があるわけで、これは平たく言えば「3Dは体によくないですよ」と言っているようなものだ。こういった諸問題が解決されない限り、3Dモノは普及しないように思う。
3Dモノの歴史は意外に古く、1980年代初頭にはすでに立体映像の電子ゲームが登場している。1987年には「ファミコン3Dシステム」が発売されたものの鳴かず飛ばず。そしてバーチャルボーイも僅か22本(海外専用ソフト含む)しかソフトを供給できぬままひっそりと姿を消してしまった。このように、ゲーム業界にとって3Dモノは鬼門である。はたして3D対応のDS後継機は、どのような運命をたどるのだろうか。(内田@ゲイム脳)
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DATA
発売日…1995年7月21日
メーカー…任天堂