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経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(14)

 ある冬の日。その日は雪が降っていた。徳次は、いつものように地金問屋へお使いに出された。地金を背負っての帰り道、空腹を抱え、寒いのに足袋(たび)も履いていない。肩に食い込んだ地金の重さに息が詰まりそうだった。日本橋から両国橋までやっとの思いで辿(たど)りついた。
 両国橋とは武蔵と下総の両国を結ぶところからの命名である。両岸は江戸時代から盛り場として栄えていた。明暦の大火の後、隅田川に初めて架けられた橋で、長さ170メートル強、幅10メートルほどの当時としては大きな橋だった。明治37(1904)年には鉄の橋に造りかえられているが、この日、徳次が渡ったのは木製の太鼓(たいこ)橋だった。

 太鼓橋の僅かな傾斜が徳次にはきつく、足を踏ん張りながら、一歩、一歩、滑らないように気をつけて進む。橋の中ほどで息を整えている時に、以前誰かに聞いた“鋳掛屋(いかけや)松五郎”の話をふと思い出した。松五郎という鋳掛屋(鍋などを修善する職人)が、ある時、しがない職人などやっているより太く短く世の中を渡ってやろうと決意し、橋の上から道具を投げ捨てて大泥棒になったという話だ。
 “松五郎のように荷物をおっぽり出して、このまま家に帰ってしまおうか”、そんな考えが脳裏をよぎったが、それが無理なことは分かっていた。
 家は極貧だったし、義母は帰ってもご飯を食べさせてくれないどころか、どんな酷(ひど)い目に遇わされるか、分かったものではない。
 “辛いけれど3度のご飯を食べさせてくれる親方の所のほうがずっといい。辛抱しよう…”。そう思い直し冷たい雪の降る中を、また地金を背負って歩きだした。
 徳次は後に“雪の両国橋は当時10歳だった私には長い長い橋に感じた。しかし、この橋を越えたことが今日の幸せな道を通れる因(ちなみ)となったのだと思っている”と回想している。

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