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経済偉人伝 早川徳次(シャープ創業者)(13)

 仕事が忙しいと、職人たちは夕食後も夜遅くまで作業をする。小腹が空くとお金を出し合って何か買って食べた。使いに出されるのはいつも徳次や兄弟子だった。

 夜更けの道の怖さを紛(まぎ)らわすために、徳次は大声で歌いながらお使いに行くのを常とした。ある晩、真っ暗な路地を戻ってくると何か空からぶら下がっているものがあり、ゴツンと突き当たった。暗いのでそのまま店に戻ったが、翌朝、人が騒いでいるので駆けて行ってみると、昨夜のゴツンは首をくくって自殺した人だったことがわかり、驚いたこともあった。
 奉公に入って何年か経ち、独学で読み書きを身につけた。休日や夜の空いた時間に技術方面の記事を好んで読んだ。兄弟子たちの読む講談や小説にはあまり興味がなかった。
 また、浅草の古本屋で見つけて6銭で買った伝記に夢中になった。そこには外国人実業家の、苦難に耐えた生涯が詳しく描かれていた。その主人公たちは、ある者は町の鉄工場の見習い、あるいは機械工、印刷工などだった。皆、貧困に耐えながら、それぞれに技術を習得し、やがて機会をつかんで活躍を始めるのだ。

 彼らの絶えざる努力、チャンスを逃さない機転に富んだ判断力は、徳次に明るい希望を与え、将来の仕事への空想を駆り立てた。ぼろぼろになるまで、この本を読んだものだった。
 徳次は働き者で、理解も早かったので芳松夫妻や職人たちに可愛がられた。自身も、希望を抱いて仕事に臨んでいた。そんな徳次も一度だけ、奉公先を逃げ出そうかと思ったことがあった。
 日本橋の問屋まで地金を取りに行く仕事が、小柄な体にはどうしても辛かった。電車はもちろん、自転車さえない頃のことだ。仕事場から地金問屋までの片道約1里半、往復約3里(1里は約4キロ)を歩く。行きはいいが、帰りには20〜30キログラムもの重さの地金を担いでいる。へとへとになって店に帰るのが常であった。

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