田縣神社の創建は古く、弥生時代までさかのぼる。「母なる大地は父なる天の恵みにより受胎する」との古代日本の民族思想により、当時、この地方に住んでいた豪族が五穀の豊穣、万物の育成、国土の発展を祈願したことが始まりだといわれ、延喜式にも記載があるなど、古くから格式の高い神社として人々の崇敬を集めていた。
田懸神社の由来は小牧長久手の合戦で豊臣秀吉が陣取ったといわれる久保山の麓に続く俗称『縣の森』に鎮座したことから現社名になった。
毎年、3月15日の豊年祭には、檜(ひのき)で奉製した直径60cm、長さ2.5m、重さ300kgの大男茎形(おおおわせがた/男性の性器)を厄男たちが御輿に担ぎ、行列をなして、近くの熊野神社から田懸神社までのルートを練り歩き、世界平和と万物育成、豊年を祈願する神事が行われる。
また、田懸神社から3kmほど離れた愛知県犬山市にある大懸神社では女性性器の御神体が祀られているが、田懸神社とは関係がないという。
(写真:「田懸神社奥宮・拝殿内のご神体」愛知県小牧市田県町152)
(「三州の河の住人」皆月 斜 山口敏太郎事務所)
参照 山口敏太郎公式ブログ「妖怪王」
http://blog.goo.ne.jp/youkaiou