はじめ徳次は6種類の繰出鉛筆見本を持って伊東屋を訪ね、番頭に会ってもらった。番頭は徳次に、いろいろと改善すべき点を指摘した。徳次は次の週には指摘された個所を忠実に改良して再訪した。それでもまだ受注には至らない。
その後、徳次は月に平均6種類ずつ新たに改良を加えた繰出鉛筆を作っては伊東屋に通った。半年がたち、見本の種類も36種類になった。徳次には、この大きな店と何日かかっても取引したいという固い意志があった。
通い始めて6カ月後、ようやく伊東屋の主人から一度会おうという通知をもらった。早速、徳次は見本の36本を持って出かけて行った。雪の降る年の瀬のことだ。この日、徳次は主人から見本の全種類を各1グロス(12ダース)ずつという注文を得た。商品が優れていたためではあるが、徳次の商品に対する誠実な態度が主人の心を動かしてもいた。
徳次は鍍金(メッキのこと)の耐久性を摩擦実験という形でおこなっていた。1日1回使用するとして3年で大体1000日。1度に3回ずつ鍍金部分を布で磨き、それを1000回重ねてみて変色がなければ10年の耐久性があるという考え方だ。伊東屋の主人が鉛筆のニッケル鍍金が剥(は)げることはないかと徳次に質問したが、その際、徳次はこの実験の結果をもって「鍍金なので剥げないとは断定できないが、どれくらい持つかと言われるならば、私のところの実験では10年持つことになっています。そう申し上げても信用していただけないかもしれませんから、3年間は完全に剥げないことを保証いたします」と即答した。
伊東屋の主人は徳次のこの返答にひどく感激し先ほどの全種各1グロスという注文を出してくれたのだ。
(経済ジャーナリスト・清水石比古)