「最初、叔父さんは断ったらしい。だけど、藤谷家では叔父さんの人柄もわかっているから、ぜひ頼むというわけで再婚の運びとなった。そして2人は3人の子供にも恵まれた。登鯉子さん、政治さん、そして徳次さん、お前さんだよ」
徳次は自分がなぜ、養子に出されたのか、ずっと聞きたかったことを洋次郎に尋ねてみた。
「日清戦役が始まったころから叔母さんは兵隊用のシャツ製造を始めた。陸軍省からの注文だから断れないし、戦時中なので眠る時間もないほど忙しかった。あまりの忙しさに、もともと体が丈夫ではなかった叔母さんは胸をやられて倒れた。叔父さんも感染して寝込んでしまったんだ」
花が発病する前から、家の忙しさと花の病弱との理由から末っ子の徳次を当分の間、里子として預けることになった。ミシン掛けの仕事をしていた熊八の妻は気心が知れていたし、熊八との間に子供がいなかったので熊八夫妻が里親に選ばれた。育てている間に熊八夫婦はだんだん徳次がかわいくなってきて、あらためて正式に養子にもらい受けたいと申し出た。
花はずっと床についたままで、いつ回復するかもわからない。ミシンの仕事も終戦の影響と花の長患いのために思わしくない時期だったので、政吉と花は承諾することにした。熊八夫婦が徳次をかわいがっていることもわかっていたからだ。
「実の子のように立派に育てますから、そちらは生みの親であることを絶対に秘密にしてください」「将来生みの親と言って出たりしないから、どうかかわいがって育ててください」こんな話合いがなされ、徳次は早川家から出野の籍に移された。