「制作者側が道徳や人生の教訓などの大人の価値観を詰め込もうとしすぎておかしなことになってしまうのが、大きなオマヌケパターンなのです。例えば、テーマ性過多な場合。ウルトラマン兄弟の長兄・ゾフィーは、最強と謳われながらも実戦ではからっきしダメ。ウルトラマンタロウシリーズでは、宇宙怪獣バードンに頭を燃やされて、殺された。その後復活しますが、別の怪獣に腕を折られて秒殺されたのがいい例。つまり、“プレッシャーに弱いやつもいる、世の中そんなにうまく成功するばかりじゃないんだよ”ということを子供に伝えたかったのかもしれませんが、ちょっと引きますね」(お宝系ライター)
立派な最期を遂げた青年などに命と超能力を託して戦う、というウルトラマンの感動の設定は永遠だ…。ヒーローが簡単に負けては、なにより見ていてカタルシスを得られないかも。ウルトラマンは他にも迷場面があるようだ。
「ウルトラマン80は伝説でしょう。主人公の地球人としての姿は、なんと中学教師。その頃の世相を反映した内容で、校内暴力などに立ち向かっていくのですが、さすがに怪獣モノと腐ったみかんモノの両立は無理だったようで、しばらくすると何もなかったかのようにその設定は消えていた」(同)
なるほど。なかなかマヌケである。
「他にも内容がガチすぎるゆえにマヌケなのがあります。怪傑ズバットがそれ。科学者の友人をマフィア(ヤ●ザ)に殺された主人公が、友人の遺稿である設計図を元に宇宙スーツをつくり上げて、次々とヤ●ザを殺しながら、執念で真犯人を見つけていく、という内容だったのですが…いつの間にかスポンサーのおもちゃ会社が撤退していました(笑)」(同)
ウルトラマンといえば、例えばタロウの防衛チームZATが、怪獣出現の通報を受けて、慌てて窓の外を見ると、既に怪獣が街中を暴れまくっている、というのはなんとかならないだろうか。いくらなんでも酷すぎる危機管理能力である。機会があれば、他にも迷場面の数々を紹介したい。