舞台は1930年代の中国で、北斗神拳第62代伝承者・霞拳志郎(かすみ・けんしろう)が主人公である。『北斗の拳』の主人公・ケンシロウの2代前の伝承者で、北斗二千年の歴史上、最も奔放苛烈と呼ばれた男とされる。そのキャラクターはケンシロウの強さに、前田慶次(『花の慶次−雲のかなたに』)の明るさと、中坊林太郎(『公権力横領捜査官 中坊林太郎』)の言動が加わったものである。タイトルにある蒼天とは、主人公の清々しい生き方を象徴する。
この巻では、北斗神拳と最後に残った強敵ヤサカが継承した西斗月拳の歴史が明らかになる。ヤサカは極十字聖拳の流飛燕を殺し、北斗劉家拳の劉宗武を負傷させるほどの使い手である。宗武は当初、ナチス・ドイツの将校で、ひたすら争乱を求める奸雄的なキャラクターであった。それが拳志郎と出会うことで大きく化けた。北斗神拳の真の伝承者を決める闘いである天授の儀の前に、桜の花を見事と感じるような心の余裕も生まれている。拳志郎の好敵手として相応しい人物に成長した。
それに反比例するようにヤサカは小物化していった。天授の儀で、ヤサカは激闘で弱り果てた拳士を倒すことを狙い、そのセコさを北斗曹家拳の張太炎に嘲笑された。そして太炎に言われるままに天授の儀を見届けることになるが、拳志郎と宗武の動きが速くて目が追いつかない。太炎に「やつらはどこに?」と質問し、場所を教えてもらっていた。
確かにヤサカは飛燕や宗武を圧倒していたが、正々堂々と戦って勝利したわけではない。飛燕との闘いでは少年を囮(おとり)とし、少年を庇った飛燕を攻撃した。宗武との闘いでは、馬糞の中に潜み、杜天風を倒すことに夢中な宗武を不意打ちにした。闘い方までも踏まえるならば、それほど実力があるようには感じられない。実際、この巻で拳志郎と対峙したヤサカは「西斗月拳は戦場の拳で、一対一の闘いには向いていない」と述べている。
結局、拳志郎とヤサカの闘いは宗武との闘いほど盛り上がることも長引くこともなかった。印象的だった点は飛燕との友情が再確認されたことである。物語はトントン拍子に進み、大団円を迎える。ここには掲載誌の刊行停止という大人の事情も影響していたかもしれない。朋友(ポンヨウ)への熱い思いと蒼天のような清々しさが印象に残った作品であった。
林田力(『東急不動産だまし売り裁判 こうして勝った』著者)