1980年2月某日、徳島県内の警察署に一本の電話がかかってきた。電話の主は、まだ少年と思わしき若い声で「今、姉を殺した。来てほしい」と電話越しに告げたという。
警察が急いで現地に向かうと、そこは農村部の一軒家。玄関から入ると廊下には側頭部を撃たれ血まみれで横たわっている少女の姿があった。
病院に運ばれたが、少女は出血多量で既に息絶えていた。また、電話の主の少年は、子ども部屋の隅でガタガタと震えており、ベッドの上には凶器に使われたと思われる猟銃が置いてあったという。あまりに悲惨な現場に駆け付けた警察は思わず絶句したという。一体、この姉弟に何が起こったのだろうか。
猟銃で撃った少年Aはこの徳島県に住むおとなしい少年で、成績は中の下くらい。バスケットボール部のどこにでもいる中学生であった。
一方、頭を撃たれた姉も同じくどこにでもいるような中学生で、二人は毎日一緒に学校に通うほど仲が良かったという。だが、歯車が突然狂った。
>>被害者は意外な一言を残す 酒に酔った大学生が大学のアメリカ人教授を殺害【衝撃の未成年犯罪事件簿】<<
この日は両親ともに家を留守にしており、姉弟以外には誰もいなかった。「親がいないうちに見たかったテレビを見よう」とテレビの前に集まったところ、チャンネル争いになってしまった。
興奮した弟は、姉を脅かそうと父親が狩りで使う猟銃を持ち出して弾を込め、撃つふりをしたところ、姉の側頭部に命中してしまったという。
パニックになった弟は姉の手当てをしようとしたが、どうすることもできず、警察に自ら連絡したという。
本事件は、犯人の中学生が極度の興奮状態にあったことや、目撃者がいないことから不明な点も多い。昭和後期、「チャンネル争い」から発生した悲惨な事件のひとつとして数えられている。