1984年(昭和59年)5月5日午後10時50分ごろ、北海道夕張市の炭鉱員用の作業員宿舎から火が出て6名が焼死。消火に当たっていた消防士1名を含む7名が死亡した。
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夕張署の現場検証の結果、この日は夜遅くまで作業員宿舎にてジンギスカン鍋を囲んだ宴会があり、鍋の不始末から出火したものではないか、と認定。事件性はないとされた。
ところが、この火災から約2か月後の7月18日、この火事で入院していた作業員男性のIが病院から失踪。しばらくして、夕張署にIから電話がかかってきた。
そこで、夕張署は火事が発生した本当の理由を知る。
Iによると、放火したのは自分で、作業員全員に酒を振舞った後、新聞紙にライターで火を付け宿舎を燃やした、という。
そして、その首謀者は、この作業員宿舎の管理人H夫妻であり、この夫妻からIは報酬を貰っていた。Iが裏切った理由は、この宿舎には作業員達の子供も住んでおり、2名が亡くなってしまったことに強い罪悪感を覚えていたという。
警察は作業員宿舎の管理人であるH夫妻を逮捕。宿舎を燃やした理由はやはり保険金殺人で、従業員達には3000万円ほどの保険金がかけられていた上、建物にも多額の火災保険がかけられ、夫妻には1億円以上の金が舞い込んでいたのだ。
この夫妻は夫が暴力団の組長、妻が元女番長という、お互い悪事を働くために結婚したようでものであり、彼らはかつて1981年(昭和56年)10月に発生した北炭夕張新炭鉱ガス突出事故で、自分の会社の作業員が巻き込まれ、多額の保険金を手にした事から味をしめ、今回の放火事件を思いついたという。
1987年(昭和62年)3月、H夫妻は死刑判決(Iは無期懲役)となり、妻は戦後日本で4人目の女性死刑囚となった。
なお、死刑の判決について、H夫妻は一度、控訴を行ったが取り下げた。取り下げた理由は昭和天皇崩御による恩赦を狙ったものと思われたが、特に恩赦は行われず、H夫妻の思惑は外れてしまい、死刑は夫妻そろって1997年に行われた。
死刑判決が下るまで、最後の最後まで自分たちの保身ばかりを考えていたH夫妻。日本の犯罪史上、ここまで残虐かつ生に執着した犯人は珍しく、本事件はある意味伝説となっている。
文:穂積昭雪(山口敏太郎事務所)