「昨日、おっかさんが来たんだってな」
徳次は“おっかさんなんかじゃない”と思ったが黙って頷(うなず)いた。芳松は、「今度っから全部、渡しちまうことはねぇんだぞ。今にいい職人になれるんだから辛抱しな。俺には全部わかってる。しっかりしろよ」と言ってくれた。
芳松の言葉に、思わず声をあげて泣いた。
初めは8銭だった小遣い銭も、日が経つにつれて少しずつ上がった。徳次は義母に給金の全額は渡さず、少しずつ貯めていった。
坂田の店で7年7カ月の年季奉公を務める間に、徳次が貰った給金は総計48円63銭。自分の手元には残らないながら、金銭出納簿を作って記録していた。
奉公に入ってから3年も、ワラの炭の粉を付けて金属を磨く仕事ばかりしていた。明けても暮れてもウスで炭を搗(つ)いて細かく砕き、ふるいにかけて粉にして製品を磨く。こうして地金の汚れを取り、次に朴(ほお)炭という研磨用の炭で磨き、さらに硬い鋼(はがね)のヘラでこすって製品をぴかぴかに光らせたら仕上がりだ。
この一連の作業が、他の人たちから言い付かる雑用のほか、徳次に決められた仕事だった。新入りの仕事だが、後からは丁稚(弟弟子)が1人も入ってこないので、ずっとさせられていた。
人一倍辛抱強かったし、坂田の家での待遇にも不満などなかった。
ただ“ずっとこの仕事しかさせてもらえないのか”“このままでどうやって一人前の職人になれるのだろう”“下働きのまま一生過ごさなくてはならないのか”と、だんだん心配になってきた。他の人たちがやっている仕事が羨(うらや)ましくもあった。