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渡哲也さん逝去…最後の撮影のお相手はかつての“フィアンセ”吉永小百合

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提供:週刊実話

 俳優の渡哲也(本名・渡瀬道彦)さんの訃報が報じられた。去る8月10日午後6時30分、肺炎のため都内の病院で息を引き取ったという。78歳だった。

 所属する石原プロモーションによると、「静かに送ってほしいという故人の強い希望」として、葬儀は家族葬で済ませ、お別れ会や偲ぶ会なども行わないという。

「舘ひろしや神田正輝といった石原プロの所属俳優にすら最期を知らせることはなく、すべてが終わってからの発表だった。細やかな気配りで知られた渡さんらしい幕引きでした」(夕刊紙芸能デスク)

 渡さんは、青山学院大在学中の1964年、浅丘ルリ子が主演した映画『執炎』の相手役に、友人が勝手に応募。それをきっかけに日活にスカウトされ、65年に映画『あばれ騎士道』の主演でデビューした。

「脱サラして芸能界入りしたのが、2017年に亡くなった実弟の渡瀬恒彦さんで、以降、兄弟でスターになりました」(映画業界関係者)

 7歳上の故・石原裕次郎さんを慕い、71年に設立された石原プロモーションに入社。同社制作のドラマ『大都会』や『西部警察』シリーズで大活躍した。

「大学時代は空手部に在籍。腕っぷしが強く、デビュー前の記者会見では瓦割りを披露したほどです。新人時代には、取材に来た記者の失礼な態度に激怒して、記者にアッパーカットを見舞って気絶させたという武勇伝も(笑)。自ら率いる石原軍団の若手に“鉄拳制裁”したこともありました」(同・関係者)

 長年にわたって日本酒のCMに出演していたが、若いころは下戸だったという。

「体育会出身にもかかわらず酒が苦手。無理して飲んでいるうちに人並みに飲めるようになったそうですが、91年に直腸がん、97年に大腸がんの手術を受けるなどして、どんどん酒量が減りました」(ベテラン芸能記者)

 15年に急性心筋梗塞で手術して以降、映画やドラマには復帰できなかった。

「17年に吉永小百合と行ったCM撮影が最後の公の場となりました。2人は、かつての大恋愛のお相手。結婚前提で交際していましたが、吉永の両親が反対し、2年あまりで破局。後に渡の結婚を知った吉永は号泣したそうです」(同・記者)

 87年に裕次郎さんが死去した後、渡さんが石原プロの2代目社長に就任していたが、その石原プロも来年1月に解散することを発表している。しっかり役目を終え、裕次郎さんが待つ天国へ報告に行ったのか。

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