3年前の秋場所まで大関だった照ノ富士。平成27年夏場所では初土俵から25場所で優勝という史上3位の記録も作っている。
当時の照ノ富士は、この優勝した場所後に大関に昇進し、「どんな大関を目指すのか?」との報道陣の質問に平然と次のように答えた。
「どんな大関ではなく、もっと上を目指します」
このとき、まだ24歳だった。
しかし、ケガや病気が相次ぎ、綱取りどころではなくなった。両ひざが悲鳴を上げ、糖尿病、C型肝炎などを併発し、体は痩せ衰え、番付も急降下。平成31年春場所には、給料も出ない序二段まで落ちている。
ここまで落ちた大関経験者は過去にいない。当然のことながら、それまで周りに群れていた支援者、タニマチは蜘蛛の子を散らすようにいなくなり、残ったのは師匠の伊勢ケ浜親方(元横綱・旭富士)と一握りの後援者だけだった。
「もう辞めさせてください。お願いします」
照ノ富士は何度も引退を申し込んだが、師匠は首を縦に振らなかった。
「辞めるのはいつでもできる。その前に、まず体をちゃんと治せ」
粘り強く説得し、一部の後援者たちも支援を続けた。
本人の努力はもちろんだが、そんな周りの支えもあって、14場所ぶりに幕内に復帰。9日目に8勝1敗の好成績で勝ち越すと、まず師匠に感謝した。
「親方のことを信じてやってきてよかった」
もともと力が衰えて急降下したわけではないから、体さえ治れば大関並み。この場所は横綱の白鵬と鶴竜、大関の貴景勝が相次いで休場。唯一、上位で奮闘している新大関の朝乃山に注目が集まったが、その前に立ちはだかったのが、この照ノ富士だった。
14日目には、同門の照強が朝乃山を下してアシスト。千秋楽で悲願の復活優勝となった照ノ富士は、番付の上がる9月場所(9月13日〜/東京・両国国技館)でも、あの憎たらしいほどの強さを見せてくれそうだ。