「ビートたけしが『洋七のしゃべりに勝てる奴はいない』と絶賛するだけに、ユーチューバー転身への期待度は以前から高まっていたのです」(芸能プロ関係者)
当の洋七が抱負を語る。
「今年の3月からコロナで講演会はすべて中止。講演会を楽しみにしていた人のために、その内容を収めた音源を損とか得じゃなく自分のチャンネルにアップしたら、5万件くらいの視聴回数があった。僕らの芸は笑わせてなんぼ。いくつかのお笑い事務所からの誘いもあって、ユーチューバーとして本格的に力を入れることにしたのです」
洋七はMANZAIブームが去った後、紆余曲折のお笑い人生を送ってきたが、自費出版した自叙伝『佐賀のがばいばあちゃん』が2004年に再出版されたことで、同シリーズは670万部を超す大ベストセラーになった。
「ところが当時、出戻りで所属していた吉本興業と印税の配分を巡り関係が悪化。07年に吉本を退社したことで、事実上、テレビ界から干されたのです」(前出の芸能プロ関係者)
すると洋七は、がばいばあちゃんをテーマとした講演会の仕事にシフト。現在まで講演回数は4800回以上に及んでいる。
「その間は時々、親友のビートたけしの番組に出演したり、14年からはTOKYO MXテレビの『バラいろダンディ』にレギュラー出演していたのですが、制作費の都合で昨年9月に降板させられてしまいました」(芸能記者)
コロナ騒動が拡大する前の2月には、大阪のホテルで講演会を開催した流れで、島田紳助とオール巨人が洋七の誕生日を祝ってくれたという。
洋七が語る。
「そのときは紳助も巨人も、コロナでこんなになると思っていませんでした。佐賀の田舎に住んでいるとやることがなく、毎日、ただ歩くだけ。弟子たちには『とにかく生きろ』と言ってますが、霞を食って生きられるわけがない。テレビや講演がダメならユーチューブで笑かしたろ」
70歳の洋七がユーチューバーとして再々ブレークできるのか? 注目したい。