鶴嶺山は“もろ差しの名人”といわれ、技能賞を史上最多の10回、金星も10個獲得している先々代井筒親方(元関脇・鶴ケ嶺)の長男だった。
「先々代は、鶴嶺山を『オレの後継者』と公言し、中学卒業と同時に自分の部屋に入門させた。でも、後を追って入門した次男の逆鉾、三男の寺尾が関脇まで駆け上り、人気力士になったのと対照的に、十両に上がるのがやっとでした。末弟の寺尾が新十両のとき、付け人としてマワシを締める手伝いをしていました。その心中たるや、察するに余りありますね。引退後は両国でちゃんこ店を開き、亡くなる前日も店に立っていたそうです」(担当記者)
この鶴嶺山の挫折が、井筒部屋の“悲劇”の始まりだった。結局、名門・井筒部屋は次男の逆鉾が継承。横綱・鶴竜を育てたものの、生来のわがままな性格が災いし、部屋はすっかり衰微。去年9月、逆鉾がすい臓がんにより58歳で亡くなったときには、力士3人、床山1人という、見る影もない小部屋になり果てていた。
筋論から言えば、残された力士たちを引き取り、本家に当たる「井筒」を継承するのは、すでに分家し、錣山部屋を興している三男・寺尾(錣山親方)の役目だった。しかし、錣山親方は3年前に一門に反旗を翻して元貴乃花親方のもとに走り、元貴乃花親方が相撲協会を退職後は二所ノ関一門に合流している。つまり、“派閥”が違うため、次兄の遺志を継ぐことができなかったのだ。鶴竜らは先々代井筒の弟子で、3兄弟とは兄弟弟子にあたる元大関・霧島の陸奥親方が引き取ったが、ついに名門井筒部屋は、息子3人もいながら消滅してしまった。
「現在、井筒の名跡は、4月17日に引退した元関脇・豊ノ島が襲名しています」(協会関係者)
相撲部屋も、有為転変である。