「肌は透き通るように白く、熟女の色っぽさ、ふくよかさもよく出ています。演歌界の大御所ゆえ、演技を不安視する声が一部にありましたが、元々、連ドラも経験済みで芝居も上手。存在感抜群です。大河は『功名が辻』(2006年)以来、2回目です」(NHKドラマ関係者)
そんな石川も、コロナ禍のご時世、“ステイホーム”を余儀なくされている。
「先の黄金週間中には、自宅の庭に根付くタケノコの成長写真を自身のオフィシャル・ウェブサイトにアップしていました。タケノコは、深夜から明け方にかけてモノ凄い勢いで成長するそうで、長女と2人でしばしの“深夜観察会”を楽しんだとか。ライトアップされたそのシルエットを、彼女は“宇宙人”と表現していました。愛車を洗うシーンもアップされていましたし、時間的に余裕があるのは明らかでした」(ワイドショー芸能デスク)
★理想の男は「ずっと年上」
さて、石川さゆり(本名・石川絹代)は1958年1月30日生まれの62歳。
「熊本の飽託郡(熊本市)の出身です。小学1年生の頃、島倉千代子のショーを見て感動し、歌手を志すようになったそうです」(芸能ライター・小松立志氏)
小学校5年生の時、神奈川県横浜市へ転居。そして、中学3年生の夏休み(1972年)、『ちびっこ歌謡大会』(フジテレビ系)に友人の“代打”で参加し、見事に合格。業界大手の『ホリプロ』所属となった。
「同年秋には、早くも連ドラ『光る海』(フジテレビ系)で沖雅也の妹役を演じました。意外かもしれませんが、歌手より女優としての仕事の方が先なのです」(テレビ局関係者)
歌手デビューは1973年3月。『かくれんぼ』というタイトルだった。
「当時のキャッチフレーズは、所属レコード会社にちなんだ『コロムビア・プリンセス』。間違いなく売れると見ていました」(芸能プロ関係者)
しかし、石川はスグにはブレークしなかった。
「今も伝説として語り継がれている“花の中3トリオ”が彼女の前に大きく立ちはだかったのです」(芸能レポーター)
トリオとは、桜田淳子、森昌子、山口百恵の3人。
「当初、ホリプロは、石川・森・山口の3人を自前の“ホリプロ3人娘”として売り出そうと考えていましたが、途中で計画変更。他社の桜田を入れて“花の中3トリオ”となったのです。石川がハジかれた格好となりましたが、このことが後年、石川に幸運をもたらすことになりました」(レコード関係者)
1977年、前年に発売されたアルバムからシングルカットされた『津軽海峡・冬景色』が大ヒット。数々の賞を受賞し、念願の『紅白歌合戦』(NHK)にも初出場した。
「『津軽――』は、惚れた男を吹っ切るために旅に出た女の話。夜行列車で上野を発ち、戻りたいと揺れる心がどこで断ち切れるか…。作曲の三木たかし氏は『青函連絡船に足をかけ、本州から離れる時ではないか』と、コンコンと説いたそうです」(前出・小松氏)
石川はそれに応えるように精一杯、情熱をぶつけて歌った。時に石川、19歳。
続けて、『能登半島』『暖流』『沈丁花』などをヒットさせた石川は、1980年代に入っても絶好調。『天城越え』『滝の白糸』『風の盆恋歌』と順調にヒット曲を出し、日本を代表する女性演歌歌手の1人となったのだ。
「『天城越え』を歌っているときなど、実に色っぽいですね。“あえぎごえ”などと揶揄する声もあるくらいです。やはり、着物姿で歌う機会が圧倒的に多いですから、“ノーパン”という噂もあるんです。クライマックスの『天城越〜え〜』というところでは、よく眉間にシワを寄せ、半身になって腰をかがめ、足をキューッと閉じて斜目上方を見つめて歌い上げるシーンが見受けられますが、当人の“イク瞬間”ではないでしょうか。すでに“アラ還”ですが、“女は灰まで”を実証しているように思います」(前出・小松氏)
結婚は1981年。
「お相手はホリプロのマネジャーから後にルポライターに転身した馬場憲治氏です。“身内の人間が商品に手を出した”と当時は大騒動になりました」(前出・ワイドショー芸能デスク)
マスコミのインタビュー等で、理想の男性像を、
「年下より、ずっと年上の人がいい。いろいろ教えてくれる人の方がいいと思うんです」
と話していた石川には、ピッタリの男と言われたものだった。
「石川よりも7歳ほど上で“頼れるお兄さん”という感じでした。しかも早大出身のインテリで、右も左も分からなかった石川の“教育係”でもあった。勉強もよく見ていました。ちなみに、高校時代の友人に音楽家の坂本龍一がいます」(芸能関係者)
1984年2月には長女を出産。結婚生活は順調と思われたが、1989年2月、離婚。長女は石川が引き取った。
★還暦越えヘアヌードに期待
「彼女は歌手を続けながら、夫の実家の敷地に両親と同居の兄夫婦と子供3人、弟夫婦と子供1人、そして自分たち夫婦と娘の3世帯4家族13人が住む大家族生活を送りました。“にぎやかでいい”と、彼女はとても喜んでいたんですけどね」(前出・芸能レポーター)
しかし、作ったミソ汁がしょっぱすぎると言われたりして大家族の中で孤立。「頑張ったけど、ダメでした」と離婚会見で発言し、破局したのだった。
「嫁姑の確執も取り沙汰されました。嫁、妻、母、歌手の1人4役に疲れ果ててしまったわけですが、歌手を辞めて専業主婦になっていたら、結果は違っていたと思います。もっとも、件の百恵(三浦友和夫人)が取った選択(芸能界引退)をしていたら、今の石川さゆりはないんですけどね」(前出・ワイドショー芸能デスク)
離婚後、噂になったのは、『白馬のルンナ』のヒットで知られる女優・内藤洋子の夫でミュージシャンの喜多嶋修(女優・喜多嶋舞の父)や石川の個人事務所のスタッフ、音楽番組プロデューサー等。
「喜多嶋とは離婚前から関係を噂されていて、本当の離婚原因は喜多嶋とのダブル不倫を指摘する声もありました」(ベテラン女性誌記者)
最も大きく報じられたのが“バブル紳士”との関係だった。
「今から20年ほど前のことでした。石川は、手がけていたカラオケボックス事業との関連で、そのバブル紳士の会社関連の保証人になっていてトラブルに巻き込まれ、10億円もの賠償金を支払ったとされています。彼女のパトロンであったのは確かなようですが、それ以上の関係であったかどうかは不明です。それより、数年前に亡くなった歌舞伎界の大立者が、彼女の“最後の男”として梨園では公然の秘密となっているそうです」(前出・テレビ局関係者)
ともあれ、62歳にしてあの色香には、ただただ脱帽するしかない。“還暦越え”ヘアヌードに是非とも挑戦して頂きたい!