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プロレスと他のスポーツの大きな違いの一つに、いわゆる“怪奇派レスラー”の存在が挙げられよう。
タイトル戦線などとはまた別の、興行を盛り上げるための“裏の主役”ともいうべき存在であり、最近ではインディー団体・新根室プロレス(2019年末解散)のアンドレザ・ジャイアントパンダが一部で話題を呼び、米国のWWEでもジ・アンダーテイカーやブレイ・ワイアットなどの怪奇派が、常に主役級としてリングに上がり続けている。
近年、スポーツ志向が強まっている新日本プロレスにしても、飯塚高史のヒール転向後の姿は怪奇派そのものであり、いまだ人気のグレート・ムタも、日本でこそアメリカンヒーロー的な受け止められ方をしているが、元来、アメリカでは怪奇派として誕生したキャラクターである。
インターネットの発達により、昨今は“謎のマスクマン”や“未知なる強豪”などが成立しづらくなっている。にもかかわらず怪奇派レスラーは、たとえ正体バレバレでも一定の人気を保ち続けているのだから、これはもうプロレスにおけるマストアイテムとすら言えるだろう。
とはいえ、単に過剰な演出をすればいいわけでもなく、その微妙なさじ加減によっては失敗に終わるケースもある。恐怖感ゼロで失笑にさらされたグレート・ニタ(大仁田厚の化身)などは、その一例である。
さて、’61年に初来日したグレート・アントニオは、第二次世界大戦後、ユーゴスラビアに併合されていた頃のクロアチアからカナダに移住すると、持ち前の巨体を活かしてサーカスのアトラクションなどに出演。怪力自慢の“ストロングマン”としてカナダやアメリカを巡り、そのかたわらでプロレスのリングへも上がるようになった。
最盛期には列車を引っ張ってみせたという怪力ぶりで人気を博し、ブルーノ・サンマルチノやバーン・ガニアといった各地の大物との対戦もあったようだ。
★最後は血の海に沈んで惨敗KO
日本プロレスの「第3回ワールドリーグ戦」参加のために来日したアントニオは、神宮外苑で満員の大型バス4台を連ねて引っ張るというデモンストレーションを行った。
この様子がテレビ放送で大々的に紹介されるや、アントニオはがぜん注目を浴び、試合会場へは連日多くのファンが足を運ぶことになるのだが、そこでトラブルが発生する。
同じく巡業に参加していたミスターX(ビル・ミラー)やカール・クラウザー(カール・ゴッチ)ら実力派選手の怒りを買ったアントニオが、制裁を加えられ、シリーズ途中で帰国してしまったのだ。
「アントニオはそもそもシリーズ途中までの契約しかなく、実際は予定通りの帰国だったようで、人気沸騰の中で帰国することの言い訳と残ったエース級外国人の箔付けのために、制裁事件をでっち上げたとする説もあります。それでも、力道山がアントニオとの対戦でストレート勝ちしているところを見ると、重用する気持ちが薄かったことに違いはないでしょう」(プロレスライター)
人気商売である以上、金の成る木であるアントニオはもっと丁重に扱われてもよさそうなものだが、同じリングに上がる選手の考えは異なる。
レスリングの素養のないただの怪力自慢のアントニオが相手では、力道山といえども好勝負を展開することは困難で、ヘタに花を持たせるような試合をして観客に八百長呼ばわりされては、マイナスのほうが大きいという判断があったのではなかろうか。
そして、歴史は繰り返される。’77年、アントニオは新日本プロレスに16年ぶりの再来日を果たすことになる。すでに50歳を超えてリングからも遠ざかっていたのだが、アントニオ猪木との“アントニオ対決”で商売になるという新日側の判断によるものだった。
かつてと同じくバスけん引パフォーマンスを予告すると、結局、道路交通法によりはばまれたのだが、新宿の京王プラザホテル前に3000人ものファンが集まったというから、新日側の目論みもあながち間違ってはいなかった(なお、このとき地方巡業先の室蘭では、一度だけバスを引っ張っている)。
猪木としても“俺なら試合をつくれる”との自信があったのかもしれない。
しかし、いざシングル戦となってどうにも相手のしようがなくなると、試合時間わずか3分あまり、猪木はリンチまがいの攻撃によるKO勝ちという結果を選ぶことになるのだった。
グレート・アントニオ
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PROFILE●1925年10月10日生まれ〜2003年9月7日没。クロアチア・ザグレブ出身。
身長193㎝、体重210㎏。得意技/ボディ・プレス、ハンマー・パンチ。
文・脇本深八(元スポーツ紙記者)