――佐藤さんは渥美清さんと親交が深かったことで知られます。作品初期と後半で印象は変わりましたか?
佐藤 いや、そんなに変わらないね。そもそも『男はつらいよ』は映画化される前にテレビ版があったんだけど、渥美さんとはその頃からの付き合いなんだ。もちろん、晩年は少し弱った姿を見せることもあったけどね。俺が楽屋に顔を出すと、「おう、蛾次郎! 果物でも持っていけよ」とか言ってくれるんだけどさ。そこには布団が敷いてあって、いかにも起きたばかりといった様子なの。でも、こっちだって「大丈夫ですか? もっと休んだ方がいいんじゃないんですか?」とか下手に心配するわけにはいかない。重病人みたいな扱いをする方が、よっぽど失礼だからね。最期まで普段通りに接していたよ。
――渥美さんは仕事とプライベートを分けて考えるタイプで、役者仲間や関係者との交流がほとんどなかったとも言われています。
佐藤 そうだね。だけど俺なんかは別だったよ。あれだけの売れっ子になっても全然偉ぶることがなかったし、そういうところが俺は大好きだった。浅草でコメディアンをやりながら苦労をしてきた人だから、面倒見のいいところがあったんだよ。若い頃は六本木の寿司屋で奢ってもらったりしたしね。「蛾次郎、なんでも好きなもん食べなよ」とか言ってくれるんだ。バンド演奏で歌えるような店に2人で行ったこともあった。そのときは『男はつらいよ』の主題歌を歌ったんだ。渥美さんが「私、生まれも育ちも葛飾柴又です」っていう例の前口上を読み上げ、俺が歌い始める。その場にいたお客さんは大盛り上がりだったよ。もっとも、この話を他の人たちにしたところ、「バカ言え。渥美さんがそんなことするわけないだろ」って信じてもらえなかったけどね(笑)。
――渥美さん、お酒は飲まない方だったのでは?
佐藤 うん、コップを舐める程度。それでも、くだらない話をずっとしていたものだよ。最近、見た映画のこととかさ。結局、なんだかんだでウマが合ったんだと思う。渥美さんから「俺、(小指を立てながら)これ関係の噂って一切ないだろ?」って言われたこともあったな。確かにあの人は映画の中と違って、女性関係で揉めるタイプではなかった。「蛾次郎、お前、女遊びしているってあちこちで聞くぞ。奥さんのこと、大事にしろよ」って釘を刺されてね。同じことは倍賞(千恵子)さんからも言われたけどさ(苦笑)。
★ズバ抜けた美女は岸恵子さん
――映画出演者が男女の仲になったり、交際に発展することがあります。『男はつらいよ』の場合は?
佐藤 あの組には、そういう浮わついた話が何ひとつない! 男女の色恋沙汰もなければ、暴力沙汰もなかったしさ。真面目に仕事に没頭するプロ集団でしたよ。仕事を離れると、みんなで遊びに行ったこともあったけどね。山田洋次監督、倍賞さん、渥美さんと俺で、1週間くらいタヒチに行ったんだ。「全部、お勘定は俺が持つから」って渥美さんは言ってくれたな。ホテルのロビーで待ち合わせしていると、そこに倍賞さんが水着姿で現れるわけよ。だけど、その水着は露出度が抑えめだった。それで「違うよ。ここはタヒチなんだから」って俺がダメ出ししたんだよね。そしたら翌日、再びロビーに現れた倍賞さんはビキニ姿だった。そりゃ、見事なものだったよ。本人は「蛾次郎さんにビキニにさせられた」とか言っていたみたいだけどね(笑)。
――『男はつらいよ』といえば、マドンナの存在も欠かせません。佐藤さんが特に印象に残った美女は?
佐藤 岸恵子さんはズバ抜けて綺麗だったな。まだ日本人が海外に出ることも珍しい時代、フランスから帰ったばかりの岸さんは外国人みたいな存在感があった。やっぱり往年のスターというのはオーラが違うんだよね。女優になるくらいだから全員が美人なのは当たり前なんだけど、今の若い人にはない独特の雰囲気があるというか。同じような感じで、若尾文子さんも撮影現場でお会いして「うわ〜、なんて綺麗なんだ!」と驚きました。「こんな美人が、この世にいていいのか?」って、我が目を疑うようなオーラがあってさ。
――「銀幕の大スター」といった風格ですね。
佐藤 他にも綺麗なマドンナはたくさん出てきたけど…でも一番は、さくら、つまり倍賞さんなんじゃないかな。なんで恋ばかりしている寅さんが結婚できないか、考えたことある? それは結局のところ、さくらよりもいい女なんていないからなんだよ。つまり一番のマドンナは、さくらというわけなんだよね。
――佐藤さんから見た山田洋次監督はどんな人?
佐藤 大変、厳しい方。仕事の鬼と言ってもいい。とにかく「リアルにやれ!」と何度もやり直しを命じるんです。要するに“芝居臭い芝居”を嫌うんだよね。俺が演じる源ちゃんというのは、ちょっと足りないところがあるわけです。ところがリアルにバカを演じるって、実はすごく難しいことなんだ。たとえばマドンナのかたせ梨乃さんが「すいません、寅さんはどこですか?」と源ちゃんに尋ねるシーンがある。その時、源ちゃんは脚立の上に乗っていた。絶世の美女に声をかけられた源ちゃんは舞い上がってしまい、脚立から踊るように降りる…と脚本には書いてあるわけ。「踊るように」とあるくらいだから、ガタガタ倒れそうになりながら脚立から降りるよね。その時の慌てふためいた滑稽な感じが、リアルじゃなくてはいけないと監督は言うんだ。
――なるほど。高度な演技力が求められそうです。
佐藤 こういうこともあった。江戸川で釣りする場面を撮影していたら、強風で竿の先端部分が抜けちゃったんだよね。完全なアクシデントだよ。それはテスト段階での出来事だったんだけど、本番で竿が使えなくなると困るじゃない。俺も「アワワ…」ってうろたえちゃってさ。そうしたら山田監督は「それだ!」って言うわけ。そのオロオロする感じを本番でも出してくれということなんだ。それが山田監督流のリアルさを追求するってことであって、演じる側としては非常に難しいところがあった。
――ファンが車寅次郎と渥美清さんを混同しがちなのも、そういったリアルさゆえなのかもしれません。
佐藤 そうだと思う。寅さんの代わりは誰もできないもんな。でも、それは他の登場人物にも言えることで、「誰が俺の代わりに源ちゃんをできるんだ?」っていう自負はあるよ。倍賞さんのさくらもしかりね。そういう意味でも、やっぱりあの映画は特別なんだよ。
――シリーズ50周年記念として、現在は22年ぶりの新作『男はつらいよ お帰り 寅さん』が公開されています。
佐藤 すごくいい映画ですよ。「渥美さんがいないのに、どうやって?」という疑問があるかもだけど、そこは編集の妙で、作品として上手にまとまっている。テレビ版の『男はつらいよ』は、最終回で寅さんが奄美大島のハブに噛まれて死んでしまうんだよね。そうしたらテレビ局には抗議の電話が鳴りっぱなしになり、それがきっかけで映画版が始まったんだ。つまり、みんな寅さんには死んでもらいたくないんだよ。寅さんは、みんなに愛されているんだから。だから、渥美さんが亡くなっても「寅さんには死んでほしくない」、「寅さんをもう一度見たい」というファンの気持ちは変わらなかった。すごい話だよ。
――本当に唯一無二の映画ですよね。
佐藤 『男はつらいよ』って実は道徳的な要素も強いんだよ。だから今回は若い人にも見てもらいたいね。中学生以下は100円で見ることができるしさ。もちろん『週刊実話』読者のオジサンだったら、無条件で面白いはず(笑)。小難しい理屈抜きで楽しんでいただけたらなと思います。
佐藤蛾次郎(さとう・がじろう)
1944(昭和19)年、大阪府出身。1953年に児童劇団に入団し、1961年にテレビドラマ『神州天馬侠』で泣き虫蛾次郎を演じてから、佐藤蛾次郎を芸名とする。1969年に映画『男はつらいよ』に柴又題経寺の寺男・源吉役で出演。以来、同シリーズに欠かせない存在となったほか、数々の映画・ドラマで活躍を続けている。